サイクリング日記 2020

4月30日(木) 

独ポタ「渋谷川~古川探索」

最近自転車生活の姿が変わりつつあるのだ、それは当然年齢によるものだろう。つい半年前までは少しでも早く走ることが一番だったが近頃はスピードが出せなくな ったし路にはそれぞれ歴史があるはずで走らせてもらっているのにただ通り過ぎてしまうのは失礼だと思うようになった。そこで自宅から程近い渋谷川の探索に向かうことにする。
何箇所かある源流の中でも本流と言われている新宿御苑ですがあいにくコロナウイルス自粛閉園のため湧き水の池は見ることが出来ないが外苑西通りに注ぎ出ていたであろう箇所からスタートするため探しに行くが意外と見つからない。ようやく見つけたところは大京町交番前の「沖田総司逝去の地」の案内板があり新撰組隊士沖田総司が晩年に療養し、亡くなったとされる植木屋平五郎(柴田平五郎)の屋敷がこのあたりにあったそうです。そのすぐ下に堀らしきものがあり交番の下にトンネルが通っている様子が伺える(地元の方にその後渋谷川の話をしたところ昭和39年のオリンピックの向けて外苑西通りを拡張するときに暗渠になってしまった様です)、どうもここが新宿御苑から流れ出した渋谷川のようだ。水は流れていないがその先は外苑西通りに繋がっている。この地点からいよいよスタートとするがまったく川の形跡が無く見当もつかないので文明の利器スマートホンを取り出しこの日のためにダウンロードしていた古地図アプリを開くとしばらく外苑西通りに沿って進むらしい。1キロほど走ったところで川は古地図アプリによると右に曲がっているが曲がり角がなかなか特定できない。現代地図と照らし合わせていくと思いもしなかったランドローバー販売店の手前を曲がるのだ、これは私にとって子供のころから慣れ親しんだ道なので大発見だ。そして熊野神社から東郷神社を結ぶ道に出る、その道の向こう側には橋の親柱が小道を隔てて2本立っている、嬉しくなり近寄って確認をすると原宿橋と刻まれている。確かにこの道が現在暗渠になっているが渋谷川が流れていたのだと確信した。ここは地元では裏原宿と呼んでいたが、いつ命名されたのか「キャットストリート」と呼ばれている道を進む。確かに川らしくクネクネした道を行くとオークリ眼鏡店の角に再び親柱が出現、穏田橋(オンデンバシ)と刻まれている、この付近は穏田村水田地域らしいし近くには穏田神社がある。途中表参道から原宿駅に続く高級ブランドのお店が建ち並ぶ通りに出るが表参道ヒルズに目もくれずにその前の信号を横切り再び個性的な店が立ち並ぶ裏原宿を進む。迷う事もなく明治通り宮下公園辺りに出るが渋谷川は明治通りを斜めに横切り今は工事中で入れないが「のみや横丁」の裏側から渋谷駅東口を流れ、渋谷警察の前に続いていたようだここでようやく渋谷川が姿を現すが小学校のころのどぶ臭い川から清流とは言えないが意外に澄んだ小川が今は流れている。高層ビルがいくつも建ち整備されて「渋谷ストリーム」と命名された川沿いの道を進み並木橋を渡ると少し下町ぽくなってきた。ここは恵比寿周辺だ、このあたりは裏道にもかかわらず飲食店が並んでいてちょうど昼時でどこかの店に入りたくなったが今は食事をしてしまったら今日の目的を達成できずに帰宅してしまう可能性があるのでここは我慢して先に進むことにする。
前方に大きな建物が道をふさぎ都バスが何台も駐車している、東京都交通局渋谷自動車営業所で都住宅も兼ねている様だ、仕方なく迂回して少し川から離れるがまだまだ裏道が続いているココまで幾つの橋を通過しただろうか、今度は都立広尾病院にぶつかり明治通りに出ないように右折したが上り坂がしばらく続きそうなので戻り明治通から天現寺交差点を渡ろうとしたが歩道がなく少し怖い自転車ラインを渡り白金に入る。
再び川沿いを走るため路地に入り渡った橋が「狸橋」で昔、蕎麦屋に親子が食べに来て翌日お金を見たら木の葉になっていたとの言い伝えがあるあるそうで立派な石碑が立っている。そしてしばらく走ると季節柄ツツジが咲き誇り整備が行き届いた綺麗な白金公園があった、さすが港区財政が豊かなのだろうと感心し、ではこの公園で用足しをしようと見渡したが残念ながらトイレがないようだ、年を重ねるとトイレが近くなるのでこの先どこにあるのか心配だ。古川橋に着くとトイレがあったが名前のごとく古そうだし(掃除をしている方ごめんなさい)人通りが多いのでパスをして交差点を渡る。ココから川が左に迂回している、とこでここは古川橋どこから古川になったのだ、帰宅して調べてみると天現寺橋から古川に名称が変わり、ここには南青山根須美術館の揚水池からも幹線が流れ込んで居たそうです。古川の裏道は古い住宅が残っている生活観のある路地だ、そんな所に静かで小さな公園がありチャンと掃除の行き届いたとトイレもあるので利用させて頂く。二の橋に出ると立派なビルと遠くには高級マンションが見え隠れする交差点で外国人も大勢行きかっている、そうだこの付近は大使館が多いのだ。近年命名された麻布通りを新一の橋まで行くと川は右に直角に曲がっている、一の橋の下には調節池があり大雨のときの氾濫をココで調整しているそうです。赤羽橋から金杉橋そして川沿いに進むと歩行者と自転車だけ通行出来そうな上には東海道新幹線・京浜東北線・ケーブルカーが通過していくガードレールが在り、潜り抜けるとそこは手入れが行き届いた広域緑地帯が続いてるのに感心して走っていると、東京ガスの立派な石表があったこれで納得。感心していたらまもなく大きな橋に出たこれが今回の終着地点浜崎橋で昔はココから海が見渡せたのだろうが、いまは近代的な新浜崎橋が出来ており海が見えない、ちょっとがっかりしたが交差点を渡り新浜崎橋のテッペンで海の写真(海と言っていいのか)を撮り、昼食をどこで取るか帰り道を考えながら帰路に着く。
大京町~浜崎橋14㎞ 
移動時間1時間半 
平均時速9.5㎞

 

令和2年元旦 初日の出

今年は息子と若洲公園の先端へ恒例の初日の出を見るため早朝5時45分自宅を出発。東京の日の出は6時51分なので充分間に合うはずだが、息子はスピードを出すのが嫌いで時速20㎞も出さないで、到着したのは7時丁度で少し慌てたがこの日はあいにくか幸いか下の方に雲が掛かっていて、雲の隙間から太陽が顔を出したのは7時10分ぐらいでむしろ丁度良かった。太陽の神に「今年も頑張りますのでよろしくお願いします」とお願いして帰路に着く。しかしゆっくり走ると体が温まらず自宅に着いたときには足先がしびれて痛いほどになりお風呂に飛び込む。


1月2日 ネズミ図の軌跡

以前から計画しルートラボに作成したネズミ図に沿って29.9㎞ 良く出来ました。

2月13日 霞ヶ浦ー北浦

今日は土浦駅から鹿島市役所へ野暮用でひとっ走り。まず霞ヶ浦湖畔を走った、霞ヶ浦脇はレンコン畑が続いていて、この日は気温2度なのに畑では胸まで浸かってレンコンを掘っている、とても寒そうだがホカロンをいっぱい張ってるのかなあ。霞ヶ浦には鴨がたくさん居て自転車が近づくと一斉に飛び立っていく。

月曜日だけども時々サイクラーとすれ違い、私もソロだけれども、相手も1人で走っていて互いに寂しいのか皆挨拶をする。しかし走り出した時から感じていたが何か転がりが悪いしばらく走ってタイヤの空気圧を確認したら少し抜けているようだ2 ・3日前に空気を入れたのでそんな減るわけは無いのでおかしいなと思いつつも平坦なのでそこそこスピードが出るしマアいいかと先に進む。途中、「行方市観光物産館こいこい」でおにぎりとお萩で食事。そして潮来の酒くらい「愛友酒造」へ寄り道したりでゆっくりと進んだがそれにしても鹿嶋市役所到着は予定の1時間半遅れだ。

用事を済ませ幅の広い国道124号線を銚子方面に進み神栖警察署を右折し利根川へ向かうため信号待ちをしていると、トラックが道は狭いが何台か入っていく道がある、もしかしたらここが走りやすいのかと思い入っていくと確かに交通量は少ないし道路に凹凸がなく自転車にとってもとても走りやすい道だった。利根川に近づくと交通量も多く少し緊張の時間が続く、ようやく小見川大橋を渡りいよいよ利根川だ!

天気も良くなりとても気持ちが良いサイクリングロードだ。しかしスピードが乗らないなぁと思いつつ止まることもなく川の駅「水の郷さわら」にようやく着く、ここで買い出しをして佐原の駅に向かうが大分タイヤの空気が抜けてるようでペダルがとても重たくなってしまった、タイヤを見てみるとかなり空気が抜けていてリムパンクしそうなのでここからゆっくりゆっくりと駅まで走ってようやく佐原駅にたどり着いた。満足度90点まずまずの89kmでした。

2月17日 安曇野サイクリング

安曇野に住んでいる娘達のマウンテンバイクを借り、快晴の安曇野市を一回り。