サイクリング日記 2021

11月7日 クラブラン
    「駿河湾太平洋岸自転車道と古道」
自転車で走るのは人生に直接利益をもたらすものではないが、健康にはもちろん、走っているときの爽快感は日頃のストレスを忘れさせてくれる。日頃の自分を忘れて壮大な駿河湾と抜きん出た高さの富士山を眺めながら太平洋岸自転車道を飽きるほど走り続ける。
長期予報では雨の天気予報が沼津駅に到着すると、幸いにも雨が上がっており晴れてきそうだ、スタートしてからわずかで千本松公園へ着く、千本松公園から堤防上を走ることが出来る太平洋岸自転車に入るとさっそく富士山が出迎えてくれた。
太平洋岸自転車道を富士山と駿河湾の景色を胸一杯になるほど走り田子の浦港に到着、早朝はセリが行われる建物で昼間は食堂として営業している「漁業食堂」で生シラスと桜エビを堪能するつもりが日替わり定食は生シラスではないし桜エビが入ってなかったがまずまず美味しかった。
食後すぐ先にある「ふじのくに田子の浦みなと公園」で富士山の絶景を望むことのできる展望タワー(ドラゴンタワー)に登りしばし晴天の展望を楽しむ。ここから再び自転車道を走り富士川を渡るとそこには広大な桜エビ天日干し場が在るが当日は漁が無かったのか、日干しはしていませんでした。
自転車道から別れ蒲原宿に入る、一里塚は石さんが見つけてくれたが気が付かず通過してしまった。まず東木戸で立ち止まる、ここには文政13年(1831年)のものと考えられている常夜灯が残されている。わずかに櫛形になっている道を進むがこの蒲原宿は一キロほどの短い宿場町なのでほぼ歩いて移動した。
江戸時代の面影が完全な形で残る建物で防火に優れたなまこ壁の佐藤家、昔の旅籠「和泉屋」当時の面影を残しているが今は右側が“お休みどころ”になっていて古風な着物を着た奥さんが建物の中に招いていただき昔話をしていただきました。隣はタバコ屋さんでガラス越しに覗いていると奥からオジサンが中に入るように声をかけてくれ4・5人は話を聞き始めるが、陰さんが隣の奥さんから聞いた話だとオジサンは1時間でも昔話をしているそう15~20分経っただろうか、そろりと出発の様子を見せるとようやく解放してもらった。
次は歌川広重東海道五十三次の中でも屈指の名作と言われる「蒲原夜の雪」昭和35年国際文通週間記念切手として世界に紹介されたことを記念して建てられた石碑に立ち寄り、トロトロ走って「旧五十嵐歯科医院」大正時代以前に町屋として建てられた建物を当主の故五十嵐準氏が現東京医科歯科大を卒業した正3年頃に歯科医院を開業するにあたり町屋を洋風に改築したそうで、院内では案内の方がいらしてその当時では近代的な診療室、・待合室そして町屋の面影をそのまま残す和室など貴重な建物を見学できました。蒲原宿西木戸に寄り蒲原宿を抜けると静岡県では桜エビ漁獲量一番の由比宿へ、5㌔程で由比宿本陣跡に到着ここは「NPO法人ふれあい由比交流館」で展示の歴史を垣間見ながらテラスの休憩スペースでのんびり疲れを癒し、この後足が揃ったメンバーなので自転車道ではなく薩タ峠を登ることにする。
旧東海道の面影が残る由比宿を抜けると薩タ峠の入り口、ここにも一里塚があるがいきなり15~18%程の上り坂のため一気に加速しなければいけないので立ち止まらず走るが私は100㍍程で足を付いてしまった、少し押して上がり再び走り出したが六さんは登り切ったようだ。登り切った薩タ峠から見た富士山の景色は最高でした。興津川を渡り興津宿を一気に走り抜け清水駅で3時半解散となりましたが雨の天気予報が外れてくれとても楽しい一日に成りました。

私はここから焼津まで走るため日が暮れ始めているが30㎞頑張って走って行くが大崩海岸は登りで時間が掛かり大崩海岸駐車場について時はすでに日没近かったであろう薄暗くなってきたがそれが幸いし夕焼けの富士山を見ることが出来ラッキーでした。しかしここからの3㎞がジグザグの疲れた脚には厳しい登り坂が続いたが登り切ると焼津の明かりが見え嬉しかった。焼津漁港で海鮮丼でも食べたかったがすでに5時当然開いている店はないだろうと焼津駅に向かい駅前の居酒屋に入りビールを注文してからビジネスホテルのネット予約を済ませてから呑んだビールは旨い。

翌日は日本一長い木橋(蓬来橋)を目指し大井川を遡り強風で自転車に乗って走ることが出来ず押して渡った先は急坂で登り切ったら直ぐに下り坂だが道は広く車がほとんど走っていない気持ちの良い道が続く、その先に静岡空港の標識が在るので取りあえず行ってみることにする。飛行機は静まりかえっていて3階の展望台に上がるまでに5~6人しか人に会わず、滑走路には飛行機は1機も見当たらない。展望は良いがここまで来ると富士山はとても小さくなってしまったな。此処でこれからのルートを調べてみるとお茶の産地の牧ノ原台地だからかお茶ミュージアム経由のサイクリングコースが見つかったのでそこに向かう。飛行場を作るにあたり整備したであろう広くて綺麗な道を快適に走り抜けお茶のミュージアム着く、辺り一面茶畑の中にとても立派な3階建ての建物に入りお茶の歴史展示見学させていただくが私以外誰もいないため2階の若い女性は危険人物が来たので応援の人を呼んでいたのでそのフロアーは早々に退散し1階の売店でお茶を購入しミュージアムを後にする。ここ掛川城でも寄るつもりで走り出すが延々と茶畑が続く15㎞も走っただろうか下りだしようやく茶畑も終わりだし下りを楽しんでいるとどうも道を間違えてしまい海に向かって走っていたのでそのまま浜岡原発隣の浜岡砂丘に出るせっかくなので砂丘を見学。ここから太平洋岸自転車道があったのでそれに沿って走ると近江灘の荒々しい波を見ながら進むことが出来た。

9月19日 駿河湾自転車道

沼津から清水まで太平洋岸自転車道を11月クラブラン担当で走るための下見で走ってきました。

台風一過で間違えなく富士山の絶景が楽しめると期待していたが、天気は良いが富士山には雲が掛かり拝めませんでしたが、やや追い風で休憩ポイントを探しながらも20㎞を1時間半で田子の浦港漁協食堂到着し、しらすコロッケ「たみこちゃん」食べたが旨かった。

そこから「ふじのくに田子の浦港みなと公園」経由で再び自転車道を走り抜け7㎞で富士川を渡る。此処には桜エビ天日干し場があるので一寸寄り道してから、静岡県歴史街道に認定された蒲原宿・由比宿を偵察し由比宿に入る。

由比宿に入る坂を登った所に在る「ゆい桜エビ館」で桜エビとしらすのかき揚げ定食を食べるが此処は予約が取れないそうでクラブランには向いていないね。

激坂の薩タ峠を避け自転車道に入る、国道1号線バイパスと東海道線に沿って走る道は余り爽快ではない。わずか12分で通過し興津宿に入るがこの先の清水駅まで4月に走っているので沼津に引き返すことにした。

しかし向風でそれも午前中より強くなっている、吉原から自転車道に乗ると強風が吹いているので進まないし3%位の登り坂を延々と登っているようで時速15㎞も出せないでヘロヘロで沼津駅にたどり着く。

下見の結果は昼飯は田子の浦港漁協食堂に決定し、蒲原宿は見所が多いので歩いて散策しようかな。

8月29日 河口湖周辺クラブラン

河口湖集合10時15分 予約していた高速バスで新宿バスタから8時40分に河口湖駅到着。時間があるのでゆっくりと準備をして11時に忍野八海へ向け、おひめ坂道~愛染道~鐘山通り~忍野八海へ向かうが初めの5キロは快適だが残り10キロは結構登りだし集合時間も気になるので結構全力で走り抜け、ようやく陸上自衛隊北富士駐屯地へ着いたが道を間違えているのに気が付く。直進しなければ忍野八海に行けなかったのだ、戻るには時間が無いので国道138号線を少し足に乳酸が溜まっているが下り勾配を全力で走り河口湖駅10時5分到着。5~6人がすでに到着していた、挨拶をしてから売店でアイスクリームでエネルギー補給。

9名で10時40分スタート河口湖を反時計回りに走り出すと今日は健脚が揃っているので、リーダーは以外と飛ばしている、それに休まず走り西湖への登り坂に入るとアレアレついて行けんない、上がりきったトンネルで待っていてくれたが一寸がっかり。12時精進湖で昼食を食べコレで大分体力も回復すると思っていたが、朝霧高原へ向かう坂道で叉ついて行けない、富士宮へ下る分岐点で皆と別れようとしたがここから緩やかな登りだから大丈夫だとリーダーに励まされ(実は4年前「日本サイクルツーリスト富士120キロロングライド」に参加したとき通っている道で意外と勾配有るし長いのを知っていたが)頑張って登ることにしたがこれほどゼイゼイハアハアしながら登ったのは久しぶりだし汗がしたたり落ちてきた。上九一色村から鳴沢まで15キロの下りだが皆飛ばすので必死に着いて行ったのでリーダーに気持ち良かったでしょうと言われたが、とても大変で爽快ではなかったな。

「鳴沢道の駅」で一休みし河口湖駅にいったん戻るがここから大月まで25キロ、下り坂なので走ろうと促され付き合うことにしたがやはり飛ばす飛ばす、50分で4時15分頃大月駅到着、自転車を袋に入れてからビールを呑むとコレが最高に旨い。皆はぐずぐずしていたがコロナウイルス感染予防のためには同じ列車ではない方が良いと思い、4時42発急行に飛び乗ると何と新宿駅まで1時間5分で着いてしまった、コレは楽でしたが年を感じさせられた1日でした。

 

7月19日  ビーナスライン

上諏訪駅より諏訪湖畔を走り下諏訪下社に立ち寄り、いよいよ和田峠への登に入る。早々に急勾配・・・・走っても走っても急勾配。登り初めて11㎞新和田トンネル手前で左折し旧街道へ入ると更に勾配がきつくなり、もし一人で来ていたら引き帰していただろうと思いながら相棒の背中をひたすら追いかけなんとか下社から16㎞和田峠に到着。此処で昼飯にするつもりでいたが、12時だがまだ早いので(距離が10㎞有ることを知らずに)霧ヶ峰まで行ってから昼食休憩にしようと走り出してしまった。ここからは緩斜面の筈なので付いていくが10%勾配の繰り返しで意外とキツいし大勢のオートツーリング連中がかなりのスピードで前からも後ろからも騒音を轟かせ自転車の脇をすり抜けていく、オートバイ連中も景色を楽しんでいるのだろうけど長閑な景色がちょっと残念。ゆっくりした後白樺湖に立ち寄り、ここから5~6%の下り坂を一気に茅野駅まで快適爽快に下る。

 

4月19日スルハン(駿河湾半周)

昨日はクラブランで沼津から内浦海岸まで走り修善寺で解散後、三島まで走りビジネスホテルに宿泊。

 朝8時ホテルを出発、まず柿田川公園のに立ち寄り富士伏流水の湧水をボトルに詰めるつもりで昨日も寄ったが場所が見つからなかったのでホテルを出る前に水汲み場をスマホで確認したら、以前は柄杓で汲めるところが有ったが今は蛇口から汲むのでその蛇口は9時半からで8時10分頃立ち寄るがやはり蛇口をひねっても出ずとても残念、電気代を切り詰めているにしても9時半は遅くない?事務者に人影有り。

公園を出て直ぐに国道1号線はバイパスになり軽車両通行不可の為、左側道から沼津千本松公園経由で気持ちいい防波堤サイクリングロードを行く、途中工事箇所が有り380号線を少し走ったが、延々と続く田子の浦海岸と富士山を眺めながら、田子の浦港みなと公園で「富士山ドラゴンタワー」に登り絶景の富士山を見ることが出来たし、富士川まで25キロ胸一杯になるほど走り、

次は昔の面影が残る旧東海道を進み由比駅通過すると直ぐに激坂の薩埵峠へ右折する、此処にも一里塚の石碑。入り口から激坂でゴールまでまだ40kmは有るだろうから此処で足を使いすぎてはいけないと下車して押して登ると途中、今朝落ちたらしい甘夏ミカン畑のミカンが何個か落ちていたので一つリュックに詰め込む、勾配が少し緩やかになったので乗車して進むと【11時30分まで通行止めの】の看板が有りガードマンのいるゲートまで進み此処で先ほどの甘夏ミカンを頬張るととても旨い。

丁度良い15分休憩でき薩埵峠まで登るととても良い景色だ。江戸時代の人たちもこの景色にどれほど助けられたのでしょうか、昨日クラブランで薦められ登ったかいが有った。下り坂はクネクネと曲がっており何本か道があるので適当に走り広い道に出るが旧東海道が見つからずスマホで確認して1号線へ向かって走っていると信号の流れでバイパスへ入ってしまい慌てて自転車を降り逆戻りした、年を取ったもんだと自覚させられる、危ない危ない!

興津駅近くの老舗らしい和菓子屋さんで柏餅を昼飯代わりに購入、旧東海道の老舗はやはり美味しいね、清水駅まで来ると緑道らしき道があり自転車・歩行者と区別されているので清水市は市民の為に整備が整えている良い街だと感心しながら進むと途中で広い道に出てしまうが、しばらくすると歩道に自転車走行ラインが有りそこを走っていると列車の車輪が有ったり古い列車が有ったりでよく整備されている道だ。後で聞いたところ美保線の廃線跡を整備したそうです。

美保線廃線跡を辿って行くとどうも美保の松原から外れてしまったようでスマホのナビで導いて貰い美保の松原へ午後1時到着 70km 5時間まずまずかな。20分ほど散策をして美保の松原の浜辺が侵食してしまったことや美保線廃線跡の話を伺ったり、写真を撮ったりで、清水駅に戻る。行きに目を付けていたお店で海鮮丼をテイクアウトして列車に乗る、

車内はベンチシートだし混雑しているので熱海駅まで1時間半海鮮丼お預け。熱海駅より東京上野ラインのグリーン車に乗り込みようやく食べることが出来た。しかし車内販売が無くビールが飲めずガッカリ、グリーン料金は車内販売も料金の内ではないのかな?コロナ禍だから仕方ないか。

 

3月23日(火曜日)三浦港まで                                    走行距離113km

横浜山下公園まで10年前は1時間15分で走れたのに2時間掛かってしまった、コレでは三浦港には何時に到着するのかな。

本牧からは産業道路は平日のため大型トラックが頻繁に走ったいるので歩道で行くことにしたコレが意外と走りやすい、三渓園ー磯子ー八景園ー野島ここまで55キロ今日は疲れているので野島公園で一休み。

横須賀手前の連続したトンネルを通過するのが狭いしアップダウ有るわ、とても走り辛いが此処を通らなければ山に入らなければ成らないはず(調べていないので確かではない)ようやく横須賀港ここまで来ると一安心。馬堀海岸からは快適な海岸沿いのランが始まる、しかし何故かスピードに乗れない仕事が忙しかったからか疲れている様だ、いややはり年齢のせいだ自覚してないだけだ。 

松輪漁港レストランでとびきり美味しい鯵フライが食べられるらしいので11:30観音崎公園で一休みしているとき「地魚料理松輪」営業時間をWEBで調べていたら何と火曜日定休日ではないか、仕方ない三崎港の食堂でも入るかとそろりとスタート。

スピードに乗れないのでサイクラーに頻繁に抜かれ途中後ろに付いてくるのがいたが上り坂の手前で歩道に入り先に行って貰う。ようやく宮川漁港直ぐの三浦宮川風力発電所まで来ると腹が痛い、本牧橋で食べたサンドイッチとカフェオレの消化が悪かったようだ。

13:30ようやく三崎港到着し冷凍マグロと冷凍鯵の干物をお土産に買い、京浜急行三浦口まで5キロ25分かけて到着、トイレに駆け込み車上の人となる。

2月23日 小田原まで                                    走行距離 105km

天皇誕生日6時に玄関を出るがサイクロンのGPSがなかなか反応しないので玄関先でグズグズしていて15分頃出発。

昨年4月29日 自転車で腰越漁港(110キロほど)まで往復したときに長年煩っている膝痛が悪化してしまい、それでもだましだまし近距離30キロから40キロを走っていたが6月仕事中に激痛が起き整形外科に5ヶ月間リハビリ通院したが痛みは緩和したがペダルを強く押し込むと再び痛みが出てしまう。そんな中YouTuberで「自転車で膝痛」を検索していたらシューズインソールを変えたら痛みが消えたという動画を見て、WEBでたどり着いたのがオーダーメイドインソール、なんと装着して3週間で膝痛が解消してきたので試しに小田原まで走り、輪行で帰宅したが多少痛みは出たが2・3日で痛みが消える。

この日は追い風に助かられてAVE22キロで小田原港に到着、鯵の干物を買いに行くが観光客でごった返しいていたので退散し駅に向かうが、途中「石垣山一夜城」の看板を見かけ以前から気になっていたので進路変更して坂道を上り始めると意外と勾配がきつく、どのぐらい登ったか勾配18%に成った時点で来なければ良かったと後悔したが登り始めた以上はピークまで完走したいので蛇行しながらも走っていたが残り350㍍の看板でついに足を付いてしまった、歴史が書かれた立看板を一読し再び走りだしピークは先のようだが駐車場に着いたので此処で終了とするが2キロほど登ったようだ。下りの小田原城下町と相模湾が一望の景色は最高です、ただ急坂でドーナッツ舗装路なので要注意ですね。

「この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓(やぐら)の骨組みを造り、白紙を貼って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を切り倒し、それを見た小田原城中の将兵が驚愕し、士気が低下。しかし、実際はのべ4万人が動員され、天正18年4月から6月まで約80日間を費やしましたそうです」

 

 

1月1日元旦

今年も若洲公園の先端へ初日の出を拝みに行ってきました。膝痛で早く走れないため誰も誘わず一人で行った来ましたが感動を共有する相手がいないのは淋しいですね。でも初日の出は最高でしたよ。